1906年、38歳にしてようやく渡欧した藤島武二は、パリ滞在の後にイタリアへ移り、肖像画を得意としたフランス・アカデミー会員で、当時ローマのフランス・アカデミー館長であったカロリュス=ディランに師事します。この頃に描かれたと思われる本作では、滞欧以前の藤島の女性像に見られた文学的な叙情性は影をひそめ、造型の強さが追求されています。抑えた色数で的確に捉えられたモデルの骨格は、彼がアカデミックな人物描写の手法を十分に体得していたことを物語ります。優れた色彩感覚と堅牢なマチエールによる装飾味豊かな絵画によって戦前の洋画界をリードしつづけた藤島の、滞欧期の人物画制作の在り方を知る上で、本作品は貴重な作例です。