福岡県久留米市出身の吉田博は、水彩画、油彩画、木版画の各分野において特筆すべき画業を示しました。また明治洋画界を二分した新旧二派の旧派の代表的画家として、黒田清輝率いる白馬会に抗し、太平洋画会の創立会員として大いに活躍しました。
彼が終生一貫して追及したことは日本の風景美、特に山岳風景美でした。本作品は、吉田が34歳で第4回文展の審査員に抜擢された時に世に問うた渾身、気迫の一作で、初期の最高傑作です。発表当時の美術評は次のように激賞しています。「色調の整理と描法の堅実に於ては『渓流』の清絶なる趣を喜ぶべし。水色、巖、相、何れも写実の温健と工夫に富めるあるを看取(中略)明らかに氏の着眼点の壮大なるを認めずんばあらず」。