戦国の風雲児・織田信長(1534~82)は、京都にキリスト教会の建設を容認するなど、宣教師たちがもたらした文物や世界観に強い関心を抱いていた武将としても知られる。その生前もしくは死後まもなく描かれたと推測される肖像画の伝存例は3件が知られているが、そのなかで唯一の束帯像である本図は、信長が安土城内に建てた総見寺(そうけんじ)の伝来。面長で高い鼻、大きく見開いた眼など、信長の個性的な風貌を伝えている。上部の賛は、のちに信長の菩提寺・大徳寺総見院の開山となった古溪宗陳(こけいそうちん)による。その年記から、信長逝去1周忌のための遺像と推測される。