福岡藩の重臣黒田一成(くろだかずなり)(1571~1656)が着用した頭形兜で、長大な銀の中刳(円形の縁を残して刳りぬいた飾りで本来は背の指物にした)を脇立にする。慶長5(1600)年関ケ原合戦前の合渡(ごうど)の合戦で、この兜を着用した一成はあまりに目立ち、遠方から狙撃(そげき)されたという。一成の本姓は加藤(かとう)で、父が伊丹(いたみ)城に幽閉された黒田如水と懇意にしたことで、如水にひきとられて養育され、歴戦(れきせん)の武将(ぶしょう)として活躍した。関ケ原合戦後、筑前国の三奈木(みなぎ)(現甘木市)で、初め一万二千石余を与えられた。黒田姓を許されたため三奈木黒田氏と称される。家老の一人として国中仕置(しおき)にかかわり、寛永(かんえい)9(1632)年の黒田騒動では忠之擁護(ただゆきようご)にまわり、家老中の筆頭の地位につき、最終的には下座(げざ)郡を中心に一万五千石程を領した。寛永15年の島原の陣では、戦場巧者(こうしゃ)として忠之(ただゆき)を助ける。同20年に隠居、睡鴎(すいおう)と号し、花鳥風月を楽しみ、明暦(めいれき)2(1656)年86歳で死去した。二代一任(かずとう)以下、歴代の当主も筆頭家老として藩政の重きをなした。三奈木黒田家資料は武具・甲冑、刀剣や歴代当主画像、絵画や書跡、奥方の什器(じゅうき)類等が残り、福岡藩家老家の歴史や文化をしのばせる。鉢高:21.0cm 脇立:8.5cm 脇立弦長:103.0cm【ID Number1983P00078】参考文献:『福岡市博物館名品図録』