明治 炭丈スミタケ六〇センチ以下の切羽採炭は先山も后山も頭が邪魔になる。カブダシ場まで搬び出すのが多難、A系のヤマK坑やS坑での尺無シャクナシ層と呼んでいた、だけあって四十五センチ位の低い処もあった。それ以下は坐り掘りはむずかしい。
昔は天井の三枚炭を其まま残していたので、天井はワサビオドシの様にイバラ形で背中をこ摺コスルと皮は「むける。」傷つく危険があった。盤もスラ曳くカイロだけ一〇センチ位溝式に掘高めるが質堅くして困難した 無賃でもあった。
石タンバコ二個を横に少し増板した小型のスラなれど 天井とスラの隙が十五センチ位の処が多かった。
スラを曳くカルイは腰の上部にブリキを細く切って嵌めカルイのスリ切れ予防にしておった。低層炭作業は巨大身者苦多しであり 坑内では暑くないでも裸ハダカになるのはヤマ人の法則になっていた。