昔のヤマ人
地下の作業である関係上、縁起を担ぐことはいがめない(多)。死葬を黒不浄と云い
女の月経(セイリ)を赤不浄と言うて嫌い妻が出産しても三日は休む、
(一)坑内で笛を吹奏する事はまかりならぬ、これは非常、変災の時 竹笛を吹鳴らして知らせていたと言い、今でもサイレンのなるのは非常である如く、中でも口笛を最も嫌う。明治三十年代、口風琴 クラリオネットが流行した。
(二)拍手も禁、柱のカミサシが重圧(ニ)で割れる音がきこえぬ(ま違える)からである 又パチパチと響くからでもある
(三)頬被り ホゥカブリ 耳をふさぐからで 重圧によって柱やカミサシの裂ける前兆がわからぬからである、
(四)猿を嫌う顔と尻が赤いからではない。
ヤマの人はサル、サル、と言いなサルときらいなサル。
猿の話しは別紙サルまわしで詳しく記す、