昔のヤマ人が無上の娯楽にしていたバクチ―正体は慾―
(田川では後藤寺香春、(嘉穂では飯塚、(鞍手では直方、(遠賀では折尾、郡役所の処在地には劇場もあったが、近くのヤマは少なく、ヤマ人には縁遠かった、かと云うてヤマには何の愉楽もない、何人か集まるとバクチがはずむ、ヤマ人のトバクは昔の様に骰子(サイコロ)二個を湯呑に伏せてやるツボ丁半チョウハンは、しなかった、投丁半と云うてサイ三個を投コロバシて偶奇数を爭うていた、尤も流行していたのはサイ三個を転がすミツヅと云うのを常習的にやっていた。(女坑夫はサイコロ遊びはせず花札、豆札ガジ札であった、
明治四十一年桂内閣によってトバク罪が改正 発令され現行犯が非現行犯となり同席者も同罪、体刑が罰金刑となり最低金二十円 最高一万円となった、それでもバクチは絶えなかった、二十円は現今の二万円以上に当る。|
○花札は四十八枚 二人山助ヤマスケ(六百ケン)(中津バナ(ベタバナ)目くり三人、)
○豆札は四十枚ガジ札とも言う(目クリ三人(カジ二人)36もと目、)
○ガジ一二三十五四六(グシロク)。五六十(ゴロジュウ)。などある アゴの四は五にもなる 曖昧な人をアゴの四と云うていた 四なり五なりと
○他にヨシ。おいちよかぶ、するりや九むしがつけ目、八二笑う
○三ずき。インガ。当って四倍になるチョンなど。
○骰子三個によるミツヅ大形紙コヨリで作る コヨリに金を、はる、
(ビール)7、12、17、 (ソウト)5、10、15、 (シク)4、9、14、
(ハチ)3、8、13、18、
親が総取り 下左はナリ目
6六―123、222、にぞうろ 114、ぽんし
11十一―326、416、335、542(グシノニ)、551(テンカーイチ)、
16十六―646(アイシ)、556、アイノシマ
サイは ゴンゴ六 相の島