銅鐸は、弥生時代のマツリに用いられたとされる青銅製のカネである。近畿地方を中心とした地域で出土し、かつては九州地方で出土する銅矛(どうほこ)、銅戈(どうか)に対峙するものと考えられてきた。現在では、それぞれに複雑な地域性があることが分かっており、見直しが図られている。この銅鐸は、昭和9(1934)年頃、香川県綾歌郡(あやうたぐん)加茂村大字鴨字明神原(現坂出市(さかいでし)加茂川明神原)で、開墾中に発見されたものである。大石下の樹根を取り除く際に鍬にかかって出土したといい、広島県福田遺跡などと同様、大石下へ埋納されていたものと思われる。
半環形の鈕(ちゅう)を持ち、鐸身はやや裾広がりになる。鈕,、鰭(ひれ)、裾の一部を欠く。いわゆる「聞く銅鐸」に属する。鐸身の文様は四区袈裟襷文(よんくけさだすきもん)であり、区画内に絵画、文様は見られない。縦横帯(じゅうおうたい)は幅広で、内部を縦長の斜絡で埋めるが、摩滅が著しく不鮮明である。鈕、鰭の文様も同様で、確認できない。もともとなかった可能性もあろう。鈕は菱環部(りょうかんぶ)の外側に鰭から続く縁を持つ外縁付鈕式で、外縁部は頂部でやや広く、付根ではほぼ鰭幅と等しい。型持穴(かたもちあな)は舞孔(まいこう)二孔、鐸身部上半に各二孔見られる。裾部の型持の切込は欠損のため二カ所のみ確認できるが、本来四カ所あったものである。裾端部における長径18.5、短径12.9を測り、比較的丸みが強い。【ID Number1990B00410】参考文献:『福岡市博物館名品図録』