本作品は、十六羅漢図十六幅のうちの一幅で、 第一尊者。ほかは東京国立博物館に十幅、残りの五幅は海外に流出後所在不明である。 左上にある款記には「大宋明州車橋西金大受筆」とあり、作者および制作地が知れ、また、明州は南宋時代、 慶元と改号したのに応じて、慶元府と呼称をあらためているので、制作期も1195年以前とわかる。これらのことから、 南宋時代の基準的作例とみなされる。 金大受は寧波(ニンポー)にあった仏画工房の作家の一人とされ、専門画家らしい練達した筆法を示している。 その図像は中国においてもかなり流布したものと見られ、同様な図様をしめす請来品も多い。 一方、日本で制作された羅漢図のなかにも近似した作例は多く、奈良・唐招提寺本(鎌倉時代)、 東京・霊雲寺本(鎌倉時代)、大阪・藤田美術館本(南北朝時代)などが、同じ系統のものと思われる。
また、表具裏に正徳元(1771)年の修理銘があり、それによると、本作をふくめた十六幅は、摂津国河辺郡の法華三昧寺多田院に伝来したことがわかる。
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