1870年にロンドンに定住した彼は、1874年にはイギリスを代表する画家の一人になっていた。21点もの作品を完成させたこの年は、彼の生涯の中で最も実りの多い一年であった。アトリエや展示室で、目利きに作品を見せる古代ローマの画家や彫刻家というテーマは、彼の初期の作品でとりわけ重要な位置を占めている。この作品でも、画面右の男が描いた絵に、批評を与える人たちを描いている。画面左上の画架に書き込まれたOp. CXXXVIは、彼の作品番号(136番)で、1851年の最初の作品からこの習慣は続けられ、生涯で番号は408に達した。