歌川豊国(1769–1825, 江戸生まれ)は歌川派の祖・歌川豊春に入門、役者絵を得意とし、歌川派隆盛の基盤をつくったことで知られます。弟子には歌川国貞や国芳などがおり、後代にまで大きな影響を与えました。
1794年から売り出された「役者舞台之姿絵」シリーズは、役者を透明感ある筆致で描き出し、当時役者絵で活躍していた東洲斎写楽や勝川春英らを凌ぐ大人気シリーズとなります。美人を描く名手でもあり、喜多川歌麿とも異なる健康的で人間味ある画風で女性を描きました。
晩年はそれまでの画風から離れ、顔は鋭角的に、猫背で猪首の人物表現が顕著となりました。弟子の国貞に影響されたこともあったとされますが、この様式は大量の浮世絵の量産化に向き、一般市民の需要に合致して以後の歌川派による隆盛にかなったものであったことと推測されています。
本図は当時江戸で人気であった『八百屋お七』を描いもので、その筆致は「役者舞台之姿絵」と同様のものが認められます。
左は初代岩井粂三郎(のちの五代目岩井半四郎)(1787–1804)の「お七」、右は坂東彦三郎の「小姓吉三郎」です。五代目半四郎は、最上位の「上上吉」の更に上、「無類」と評せられた名女形です。所作(舞踊)と地芸(演技)の両方にすぐれ、娘だけなく、若衆、傾城、武道、荒事などどれを演じても不可なるものがなかったとされています。