その書き出しが「十七」とあることから、十七帖と呼ばれている法帖であり、東晋の王羲之(おうぎし)(303~61)の草書の名品として名高い拓本である。その大部分は、蜀の周撫(しゅうぶ)にあてた尺牘(せきとく)(手紙)と見られている。
現在伝わるのは石刻からの拓本のみであるが、この上野本は「館本」と呼ばれているもので、末尾に「勅」の大字があり、その下に「付直弘文館、臣解无畏勒充館本、臣褚遂良校無失、僧権」との跋語が見えている。そこには、弘文館の師弟に与えて習字の手本とする為に、褚遂良(ちょすいりょう)が校合し誤りなく石刻した旨が記されている。
この拓本は、清の康煕年間には清朝の書家として名高い姜宸英(きょうしんえい)(1628~99)の所蔵であったものが、その後、羅振玉(らしんぎょく)の手を経て上野有竹斎に譲渡された拓本である。十七帖中の屈指の名品として夙に知られており、「上野本十七帖」と呼ばれている。