俵屋宗達(たわらやそうたつ)(生没年不詳)が金銀泥下絵を描き、その上に本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)(1558~1637)が、柿本人丸(かきのもとひとまろ)以下三十六歌仙の和歌をしたためる。
画像は13.5メートルにおよぶ巻物のほんの一部。巻頭に陸地に佇む鶴の群れ。やがて鶴たちは飛び立っていったん画面外に消え、ふたたび画面内に連続して降りてくる。そして、海上をしばらく滑空し、今度は雲の上まで一気に急上昇して、ふたたび海上に舞い降り、最後に水に足を浸して休息する。鶴が飛び立ってふたたび降り立つまでの旅を、息をのむようなダイナミックさで描ききる。よく指摘されるように、一連の鶴の動きは、アニメーション効果そのものだ。
鶴は、嘴(くちばし)および羽の一部と足に金泥を用い、それ以外を銀泥で描き出す。数少ない筆数での的確な造形は、実に見事。巻頭から長く刷かれる金泥は地面だが、途中から濃淡をつけながら刷かれる金泥は天上の雲ないし霞(かすみ)。この金泥刷きと海をあらわす銀泥描きの波濤によって、鶴の飛行高度の変化を巧みに描き出しているのである。その高度差は、実に大きい。巻子という、天地が限定された画面を逆手にとった見事な造形であり、超横長フォーマットという制限を活かしきった卓抜なデザインといえよう。
今流に言えば、宗達と光悦による絶妙なコラボレーションといってよい。