陳賢(生没年不詳、17世紀中頃活躍)は、字を希三といい、初期の黄檗絵画を代表する中国人画家。彼自身が来日した形跡はないが、渡来する黄檗僧らに託して、道釈人物画を送り込んだ。そのアクの強い画風は、逸然を開祖とする長崎の「唐絵(からえ)」成立に大きな影響を与えた。
本図は、延宝五年(1677)開創の長崎・聖福寺の什宝として整えられた観音・羅漢の五幅対のうちのひとつである。現在は、切り離されているが、当初は、隠元の弟子・木庵の賛文が画面上部に付属していた。木庵は、この羅漢に「椅杖咲接童子大阿羅漢」と題している。大胆な陰影を施した生々しい表情と、筆勢をきかせた粗豪な衣文の対照が独特の画面を作り上げている。線描、陰影法ともに高度な技術を深い精神性の内に駆使し、写実より写意を重んじた中国・道釈人物画史上における傑作が生み出されている。右下方に「陳賢之印」朱文方印がある。