日本から海外市場向けに製作された室内着。典型的な1870年代のバッスル・スタイルである。在留外国人の注文という可能性も否定できないが、当時の欧州市場を把握した椎野による輸出品と考えられる。和紙製レーベルには一面にロゴマーク、もう一面には毛筆での記載があるが、判読は難しい。
長い鎖国からようやく開国した日本にとって、貿易振興は大きな課題であった。横浜開港の1859年から絹は主要な輸出品だったが、より付加価値の高い絹製品の輸出が望まれていた。これを受け、横浜の絹物商人、椎野正兵衛らが73年のウィーン万国博覧会に派遣される。羽二重にキルティングを施した室内着は市場調査の結果の品だった。