小出楢重は1921年8月パリにむけて旅立ち、翌年4月に帰国した。滞欧約半年だが、パリで暮らしたのは僅か二カ月にすぎず、秋というより冬枯れたその季節の印象とともに、小出のパリの思い出に懐かしいものはなかった。絵の舞台となったこの宿はソンムラール街17番地にあり、同じ船でマルセイユに上陸した硲伊之助(1895-1977)と林倭衛(1895-1945)もここに投宿しているから、おそらく日本人画家の定宿的存在だったのだろう。小出はこのホテルの自室の窓からの眺望を、みずから撮った写真をもとに日本に帰ってから描きはじめたようだ。画中の線は斜めにすこしずつ傾いて、かすかな空間の不安定感が、孤独な死を待つだけのパリの老人の視線にどこか似てしまう。色彩は季節の色以上にくすんだ心に同調して淋しげでもある。けれどこの絵に弾む力がないわけではない。油絵はいいものだといおうとして、パリにはまったく失望したというのが小出の流儀なのである。思い出は材料になればいい。描くうちにおもわず筆がのびて記憶をこえた虚実に、よく粘る油絵のリズムが鳴りだす。