薔薇,黄葵、菊、露草などが咲き乱れ、その傍らで三羽の雀が遊ぶ様子を描いた草花図。草花は輪郭線を用いず没骨法によってみずみずしく描き、奇岩を配した構図は中国文人画に倣うもので、中林竹渓(1816-67)が師事した父中林竹洞や山本梅逸の影響が看取できる。また、雀の羽や爪の精緻な描写には写実的な表現志向が見られ、円山四条派の画風の学習が窺える。
竹渓の作品は山水画や真景図がよく知られるが、花鳥画は少なく竹渓の幅広い画域を示すものである。文人画家竹洞の子として京都に生まれ、名を成業、字を紹父、号を有節といい、竹洞の朋友である梅逸の門に入った。他に大和絵や円山四条派、南蘋派などを学び、山水画や真景図、中国人物画、花鳥画など作域は広い。本図は、落款から嘉永年間(1848-54)以降の竹渓30代後半から40代の制作と考えられる。