明治期に伝統絵画の改革を目指したフェノロサと出会い、その実践を担った芳崖の絶筆。彼の実験精神の成果であり、近代日本画の出発点でもある。
弓なりになった空間の中空に観音がふわりと浮かぶ。観音の視線をたどると、右手の水瓶から弧を描いて落ちる雫が、光輪を負って合掌する嬰児に注ぎ、その衣は妙義山に想を得たという蛾々たる山脈へ垂下する。その先は底知れぬ深淵。
狩野芳崖は、江戸末期には木挽町狩野家の四天王に数えられる絵師であったが、日本の伝統絵画の改革を図ったフェノロサと出会うことにより、その実践を担うことになる。その成果を示すと見做される、50代後半以降の作品では、統一的な明暗表現の意識が芽生え、ダイナミックな独自の構図法が認められるが、それらはともすれば劇画的で大仰な表現に傾きがちであった。ところが本図においては、そのような弊はほぼ払拭され、静けさが画面を支配している。芳崖の門人であった岡不崖の『忍のぶ草』(日英社、明治43年)によるなら、芳崖は本図の完成直前にして薨れてしまったこと、顔料の実験をおこなったため、退色して金が浮いて見えることが指摘されているが、それでもなお本図が彼の不屈の努力の到達点であり、近代日本画の出発点を示していることに変わりはない。(執筆者:野口玲一 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)