鳥居派の祖とされる絵師・鳥居清信(1664年–没年不詳, 大阪生まれ(諸説あり))。父・鳥居清元(1645-1702)は女形役者であったが画才に恵まれ、のちに劇場の看板絵を手がけたと言われます。1690年頃には父子で江戸に移り、市村座などの看板絵を手がけたと伝承されており、この頃に江戸歌舞伎と鳥居派の結びつきが始まったと考えられます。鳥居派は以後、役者絵や番付なども多くを手掛け、歌舞伎と浮世絵の密接な関係を象徴する存在となりました。
清信は幼少より画を学び、当時江戸で人気を博していた菱川師宣や懐月堂の影響をうかがわせる画風を用いる一方で、歌舞伎と密接であるゆえの鳥居派特有の様式を確立しました。とりわけ市川團十郎が創始した「荒事」の豪快な演技を視覚的に描写するために太細の強弱を誇張した線描を生み出し、舞台の迫力を描き出したことで広く知られています。その画法は「ひょうたん足みみず描き」と呼ばれ、鳥居派の代名詞となりました。
また、美人画や艶画を含む肉筆作品も多く手がけています。清信は、菱川派や懐月堂派と共に、役者絵と美人画の双方にまたがりながら、初期浮世絵を先導する重要な役割を担いました。
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(参考文献)
武藤純子「初世鳥居清倍考」『浮世絵芸術』 第106号、1992年
安田剛蔵「鳥居清信・清倍論」『浮世絵芸術』、1987-1988年
『鳥居派の役者絵』 平木浮世絵財団・リッカー美術館、1972年