江戸時代初期の寛文年間(1661–1673)前後に制作された、背景を描かず一人の美人を表した美人画を総称して「寛文美人図」と呼ばれます。そこには理想化された美人像のみならず、実在の太夫や若衆(少年から青年の歌舞伎役者)の姿も描かれました。しばしば和歌や漢詩などの画讃が添えられ、着物の模様などで古典文学の登場人物を想起させる絵解きが施されていることもあります。制作の多くは、無名の絵師によるものでした。
御所髷や細帯、鹿子絞りといった寛文期の風俗的特徴が表されることが多く、本図にもそうした要素が認められます。また、松葉模様や白波、うさぎの意匠は、古典に登場する特定の人物を示唆している可能性があります。
戦乱の時代を経て社会が安定しつつあったこの頃、画題も徐々に穏やかなものも現れ、人々が屋内外で、踊りや楽器、宴会などを楽しむ遊楽の情景が盛んに描かれるようになりました。寛文美人図もその流れの中で成立したものであり、背景を排して美人を単独に描くこの様式は、のちの菱川師宣、鳥居派や懐月堂派、宮川派といった初期浮世絵師たちに大きな影響を与えたと考えられています。
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(参考文献)
菊池貞夫「寛文美人図とされる縁先美人図について」『MUSEUM』(東京国立博物館美術誌)第292号(1975年)
菊池貞夫「寛文美人圖について」『大和文華』第35号(1961年)