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京都で焼かれたやきものは「京焼」と呼ばれます。この言葉が始めて記録に登場するのは1605年(慶長10)のこと。博多の商人神谷宗湛(1551~1635)の日記に「肩衝 京ヤキ」が茶会に使われと記されており、これは楽焼の茶入である可能性が高いと考えられています。本阿弥光悦(1558~1637)を始めとして、楽家代々の陶工たちは楽焼の茶の湯道具を焼き続けました。
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