朝鮮半島では、高麗時代は青磁生産の全盛期であり、白磁の生産は概して低調であった。そのため、高麗時代の白磁の遺例は非常に数少なく珍しいが、出土陶片から韓国全羅北道扶安郡保安面柳川里の窯で類品を焼いていたことが確認されており、地名をとって扶安白磁と呼ばれている。本例は極めて稀なその扶安白磁の一例で、類品は韓国の国立中央博物館所蔵品や日本の大阪市立東洋陶磁美術館所蔵品など、ごく数例が知られているに過ぎない。
胴部の四方に陰刻されている牡丹や蓮華の折枝文様は、中国・朝鮮陶磁の大コレクションとして著名な安宅コレクションの例(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)と較べると、やや硬さが認められるものの、頸と胴の境に施された唐草文はむしろ複雑かつ豪華である。
柳宗悦(やなぎむねよし)(1889~1961)らの民芸運動に触発されて、昭和10年代に朝鮮陶磁を蒐集した笠川正誠(かさかわまさあき)氏が、昭和59年(1984)に京都国立博物館へ一括寄贈された龍泉居(りゅうせんきょ)コレクション77件のうちの1点である。