急勾配の崖に向かって、つぎつぎと押し寄せる波。はるか水平線上の静けさとは対照的に、高くしぶきをあげる波の勢いは、付近の海が険しい地形であることを物語る。 宮内庁から昭和天皇の学問所を飾る油絵の制作を委嘱された藤島は「旭日」を制作することを決意し、1928(昭和3)年から10年にわたる取材旅行をした。旅行途中の1930(昭和5)年、かつて図画教諭として赴任したことがある三重県におもむき、本図のモチーフを得、2年後の第13回帝国美術院美術展覧会に本作品を出品した。 眼の前に広がる自然を単に直訳するのではなく、「自然をよく観照し、咀嚼し」「本当の写実の効果」を求めて止まず、「東洋とか西洋とかという観念を撤回し」「西洋臭味を離れたものを描く」ことに心をくだいた藤島の到達した答えが本作品であるにちがいない。強い筆圧で凹凸の激しくなってしまった画面からは、なみなみならぬ努力の跡が滲みでている。この完成作は藤島の代表作となったことはもちろんのこと、日本の近代文化がたどった成熟の過程が集約されているといっても誤りではない。