揺れ動く柳、そして黄金の橋。自然の景物と人工物の織りなす豊かなデザイン性が印象的な柳橋水車図屏風は、桃山から江戸初期にかけて流行し、盛んに描かれた。蛇(じゃ)籠(かご)と水車には盛り上げ胡粉が、雲や橋には切箔や金砂子が用いられ、工芸的な意匠が凝らされている点が観る者の目を惹く。柳・橋・蛇籠・水車といったモチーフが描かれていることから、柳橋水車図は宇治川を主題とするものと考えられ、宇治という名所は、ここでは近世的なおおらかな造形感覚に基づき、暗示的に描かれている。
柳橋水車図は当時漢画派として活躍した長谷川派が得意としていた。長谷川派の祖である長谷川等伯が描いた作品(香雪美術館蔵)をはじめとし、長谷川派によると考えられる柳橋水車図は現在二十を超える点数が確認されている。なかでも本図は「等後」の印を持ち、等伯の次男である長谷川宗宅(?~1611)の作品と知れる点で重要な作例である。宗宅は兄・久蔵が夭折した後、弟の左近、宗也とともに長谷川派を牽引した画家。宗宅の代表作品である本図は、等伯の伸び伸びとした鋭い筆線、爽快な画風を良く継いでおり、柳の風に揺れる様が生き生きと描かれている。一方で、丹念で繊細なモチーフ描写には、等伯には認められない志向が看取される。本図は、作品の少ない宗宅の基準作であるだけでなく、等伯次世代の美意識が表れている点において重要な作品である。
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