ブルガリアの富裕な穀物商の家に生まれ、若くしてミュンヘンで風刺画家として成功し たパスキンは、1905年に20歳でパリに出てきたとき、すでに大家の趣があったという。その彼が、フォーヴィスム、キュビスムなど今世紀初頭の前衛美術の洗礼を受けた後、独自 の画風を確立するのは1920年前後のことである。
円熟期のパスキンの画題の大半は女性、それもモンマルトルの夜を徘徊する娼婦たちで、下着姿でしどけないポーズをとる彼女たちの姿が、淡い夢のような色調の中にぼんやりと描き出されている。そこには倦怠ともあきらめともつかぬ、投げやりな感情が色濃く漂い 、その諦観の果てに垣間見えるかすかな安堵さえもが感じられるが、それは誰よりも画家自身が強く抱いていたものだった。若くして名声を得、富を得たパスキンは、早すぎる成功 を信じることができず、その不安を振り払うかのように夜ごとの蕩尽を繰り返した。そし て、常軌を逸したような喧噪の夜の後に訪れる白々とした朝の光の中で、かすかに残る酔 いの倦怠に身を任せながら、彼は人生の孤独と虚無を重く噛みしめていたのである。
(出典:『名古屋市美術館コレクション選』1998年、p. 23)