高度成長期をはさんで、自家用車の普及などにより、道路の交通量は増大し、特に都市では道路渋滞は深刻な問題となっていた。福岡市もその例外ではなく、交通渋滞の緩和のため、路面電車を廃止し、地下鉄を敷設することになった。明治43(1910)年の福博電気軌道の開業から、福岡市民の足として親しまれてきた市内電車は、昭和50(1975)年に貫線(かんせん)(九州大学前―西新)・城南線(じょうなんせん)(渡辺通―西新) ・呉服町線(ごふくまちせん)(博多駅―呉服町)がまず廃止され、昭和54(1979)年には完全に姿を消した。
昭和56(1982)年7月に、地下鉄一号線のうち天神―室見間が開通し、福岡市営地下鉄は営業を開始した。初日は13万5000人の乗客で大盛況。昭和57(1982)年4月には、中洲川端駅・呉服町駅が開業。昭和58(1983)年3月、姪浜駅・博多仮駅が開業し、国鉄(現在のJR九州)筑肥線と相互乗入。昭和60(1985)年3月、地下鉄博多駅が開業し、地下鉄一号線が全線開通した(平成5(1993)年福岡空港まで延長)。さらに、昭和61(1986)年1月、馬出九大病院前―箱崎九大前、同年11月、箱崎九大前―貝塚が開通し、地下鉄二号線も全線開通した。そして、現在は地下鉄三号線の工事がすすんでいる。
【ID Number1990P12747】参考文献:『福岡市博物館名品図録』