大平洋画会研究所や日本水彩画会研究所などに学ぶ。〈二科会〉を中心に活躍し、1922年には新しい傾向をめざす若手の作家たちと前衛グループ〈アクション〉を結成する。西洋の近代美術の諸潮流を摂取しながら、大正末期から昭和初期にかけて、日本の前衛美術に独自の足跡を残した。
横たわる人物が描かれていますが、その描写は写実的ではありません。人体の形は単純化されていますし、頭、腕、足など、体の各部分は、それぞれに異なった角度から眺められたかのようにぎごちなく組み合わされています。また、人物の背景や画面の上部には幾何学的な形態や格子などが見られます。このように、描く対象を様々な角度から分析し、それらを組み合わせる描き方は、ピカソらが試みたキュビスムという絵画の様式に典型的に見られるものです。一方、この作品にはどこか幻想的な雰囲気が漂っています。このような特徴は、作者が当時、目に見える現実の世界よりも夢、精神、無意識など人間の内面の想像力を重視するシュルレアリスム(超現実主義)という傾向から影響を受けていたことを示しています。