中学1年生だった天野保義(あまの やすよし)君(当時13歳)は、爆心地から900メートル離れた学校の中で被爆しました。一人息子の帰りを待ち続ける母・良子(りょうこ)さん(当時39歳)の元に、保義さんの収容先が知らされたのは、8月7日。すぐに連れ帰りましたが、耳の下に大きな穴があき、全身血だらけの大けがを負っていました。良子さんと祖父母が、懸命に看病しましたが、8月8日午前8時ごろ、息を引き取りました。遺品は自宅にあったもので、良子さんは保義さんの持ち物をすべて手元に置き、亡くなるまでその死を嘆き続けました。