歌川国貞(1786–1865, 江戸生まれ)は、初代歌川豊国の門人。晩年の豊国がうちだした鋭角的な顔立ち、猫背猪首と呼ばれる人物表現を一層推し進め、歌川画法を完成させたと一部には評されます。浮世絵の画題が花鳥画や風景画まで広がっていた幕末に、役者絵と美人画を中心にした国貞の活動は、正統な浮世絵師であったと評することもできるでしょう。
1811年頃から家業の渡船場とその所在地にちなんで「五渡亭」の号を用い、この時期には庶民的な江戸風俗が表された特徴的な役者大首絵と美人画大首絵を残しました。その後一時期は英一蝶に私淑して「香蝶楼」を名乗ったあと、二代目豊国を襲名します(実際には三代目だったため、今日では三代豊国と呼ぶことが多い)。
江戸後期までに浮世絵史上最大の一万点に及ぶ作画量を誇り、その分類型的な図柄が混じることになりましたが、歌舞伎の演目や江戸の風俗を知る手立てとなる数多くの作品を残した功績は極めて大きいとされています。
本作品は娘道成寺をテーマにしたその一例。国貞の弟子であった国芳もまた、本作品の構図と類似する「娘道成寺」を残しています。