高麗時代の統和24年(1006)に千秋太后皇甫(せんしゅうたいごうこうほ)氏がその寵臣金致陽(きんちよう)と同心発願して書写せしめた紺紙金字一切経のうちの一巻であり、その一切経で現存するのは本巻のみという稀有な遺品である。
わが国や韓国に伝来する高麗時代の写経で、11世紀に遡る作品は、2、3件であろうが、それらの中では最も古い。表紙には銀泥で宝相華唐草文、見返しには同じく銀泥で三菩薩が散華供養している様子が描かれており、制作時期が特定できる絵画資料としても非常に重要な作品となっている。
料紙は厚手の紺紙で、堂々とした重量感あふれる一巻であり、経文の文字は崔成朔(さいせいさく)なる人物が書写したやや大ぶりな字形となっており、遼や契丹の影響を受けたと見られる力強く端正な字すがたを見せている。中国・朝鮮半島・日本という漢字文化圏を見渡しても、非常に貴重な一巻ということができる。
見返しの左端には、嘉慶2年(1388)近江の金剛輪寺に施入された旨の朱書がある。