19世紀後半のフランスは、美術の世界でも官展に対抗して印象派が第1回展を開く(1874年)など、新しい時代への転換に向かって、地殻変動が起きた時代であった。しかし正統派を自認するアカデミズムの勢力は健在であった。
アレクサンドル・カバネルとともに、この時代のアカデミズム絵画を代表する画家であるウィリアム・ブーグローは、マネや印象派の画家たちの絵画を拒否した保守派の人物としても有名で、“ブーグロー風”という言葉が印象主義の反意語として用いられもした。彼は新古典主義の画家ピコの弟子で、1850年にローマ賞を受賞、歴史画や神話画の大作をサロンに出品している。微妙な明暗まで再現する精緻な描写と磨きあげられたマティエールが際立つその様式は、アカデミックな写実技法の極致といえる。
一方、ブーグローは風俗画も数多く制作した。1870年代以降は、愛情あふれる母子、牧歌的な風景に愛らしい少女といった定型化した作品を数多く制作するようになった。本作はこのような時期に描かれた牧歌的少女像のひとつである。網を左肩に担ぎ、籠を右手に抱えてポーズする漁村の若い娘。海辺の場所や着衣などは地味で、頭に被ったスカーフの色と模様がこの絵で唯一の華やかな部分である。それゆえに顔や首すじ、腕や手といった露出した肌の部分の生々しさ、また磁器のように滑らかでみずみずしい描写に、自然と見る者の目は導かれる。ある意味で写真的ともいえる人体の描写は、ブーグロー特有の表現法でもある。
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