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明治廿五年ヨリ廿六年迄 佐賀堀御払下願ニ関スル件

不詳Meiji and Taishō Period(late 19th century-early 20th century)

福岡市博物館

福岡市博物館
福岡市, 日本

福岡城には、赤坂門(あかさかもん)から現在の大名(だいみょう)、天神(てんじん)をへて那珂川(なかがわ)に続く堀があった。東側の佐賀堀(肥前堀(ひぜんぼり)は、明治43(1910)年の第13回九州沖縄八県連合共進会の会場をつくるために埋め立てられ、共進会閉幕後は、県庁や市役所などが建ち並ぶ官庁街の一部になった。また、現在の天神西通り以西にあった中堀も大正後期には埋め立てられて市街地の一部となった。
埋め立てられる前、この二つの堀ではレンコンが栽培され、その売上は現在のお金に換算すると毎年数百万円にもなったらしい。明治25(1892)年頃、これを何に使うのかが問題になったが、結果的には、レンコンの売上や埋立後の土地の売却益など堀からの収益は中学修猷館(しゅうゆうかん)(現在の福岡県立修猷館高等学校)の経費の一部にあてられることになった。明治33(1900)年以降、修猷館の経費が完全に県費でまかなわれるようになってからは、これらは帝国大学(現在の九州大学)設置のために使われたり、県下の中等学校に在籍する生徒の奨学基金となるなど、福岡の中等・高等教育のために活用された。この福岡城の堀をめぐる問題を文書の形で今日に伝えるのが、福岡城佐賀堀・中堀関係文書である。
【ID Number1997B01387】参考文献:『福岡市博物館名品図録』

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  • タイトル: 明治廿五年ヨリ廿六年迄 佐賀堀御払下願ニ関スル件
  • 作成者: 不詳
  • 日付: Meiji and Taishō Period(late 19th century-early 20th century)
  • 実際のサイズ: w20 x h27.9 cm
  • タイプ: 古文書
  • 外部リンク: http://museum.city.fukuoka.jp/
福岡市博物館

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