ロマン主義の巨匠ドラクロワは、バイロンやユゴーなど同時代の文学や、ダンテ、シェークスピアなどのヨーロッパ各国の国民文学をとりわけ好んでいた。彼の溢れるような情熱は、それらに表現された激しい感情や理性、狂気が交錯する世界に感応したのである。
本作の主題は、17世紀スペインの作家セルバンテスが書いた小説「ドン・キホーテ」の一場面。物語の主人公はラ・マンチャ県のある村の郷士。騎士物語を読み耽るあまり、ついには正気をなくして、自らをドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗り、隣村の百姓娘を姫君と思い込み、武勲を立てるために遍歴の騎士となって冒険に出るという物語である。
ここでは、本を広げた机の前で、椅子に座って夢想にふける人物がドン・キホーテである。その後ろには、彼の身を案じて書物を焼いてしまう村の司祭や床屋のニコラス親方、家政婦たちが困惑した姿で描かれている。
実際の「ドン・キホーテ」にはこのような場面は出てこないが、騎士物語に影響されたドン・キホーテが旅に出てやがて自宅に担ぎ込まれるという、第1章から6章までの物語の冒頭部分を要約した形で描いたものである。
床に散乱した書物や騎士の武具らしき道具。後ろの人物たちに背を向けた彼の視線は宙をさまよい、彼らを気にする様子もない。そして彼の不自然な左手の動きは、まるで彼の理性を彼から切り離そうとしているようである。ほぼ正方形の小さな画面に、正気を失ったドン・キホーテの内面が見事に描き込まれている。