歴史画家の松本楓湖に師事。安田靫彦らと〈紅児会〉を結成し日本画壇に新風を興し、文展で活躍。後に〈再興院展〉の同人となる。ゴッホやゴーギャンなどの作風や琳派の装飾性をとり入れたり、南画的作品を描くなど次々と新しい表現を打ち出し速水御舟などの後進に大きな影響を与えた。
中国では天の四方をつかさどる四神の思想にもとづいて龍虎図が古来からよく画題にされてきました。日本でも多くの作例がみられますが、紫紅は青龍と白虎を対幅として対照させて描いています。この作品は俵屋宗達への傾倒が著しい装飾的な作風をとり、墨と金泥を用いた力感あふれる輪郭線でゆったりと余裕をもって描いています。縦長の画面に龍虎の姿を巧妙にトリミングし、特徴的な頭部や手足、しっぽを余白の空間を考えながら、機知とユーモアに富んだ描写でとらえています。彼は「僕は壊すから君たち建設してくれ給え」と後輩に語ったように、洋の東西を問わず、一切の既成のスタイルにはまることを避け、自由で個性的な感覚を存分に発揮しましたが、その特質がよくあらわれています。
(寸法)
龍:124.8×41.4cm
虎:125.0×41.4cm