胴服は現在の羽織の原形で、戦国時代の大名に愛好された上着である。これは肩に紫の壺垂れ文様、裾に萌葱の矢襖文様を配して上下を区切り、一種の肩裾文様の構成としながら、肩裾文様では文様を入れずに白地のままにしておく腰の部分に、光沢のある生地の美しさをいかしつつ、萌葱・紫・浅葱に染め分けた桐文様を散らした、洒落な意匠の1領である。天正18年(1590)、豊臣秀吉が北条氏を攻めた小田原合戦に際し、陣中見舞を届けた南部信直に秀吉が与えた胴服と伝えられ、南部家に伝来した。
文様はすべて絞り染のみで表現され、描絵や刺繡などの技法を一切併用しない。細かな縫い締め絞りによって防染したうえで、色数に応じて染液への浸け染めを繰り返すこの種の絞り染では、明確な輪郭をもつ文様を染め上げるために、多くの手間と高度な技術が必要である。近代の研究者によって、この種の技法は辻が花染と定義されたが、中世の文献に記される辻が花染は、絹ではなく主に麻地に染めるものであり、絞り染であったかも定かではないことが指摘されている。