彫刻を学んだ腕のさえが、壺に精巧な紫陽花や水仙の彫り文様となって結実する。うっすらとした暖かみのある半透明の釉薬も魅力。
波山の功績の1つは、陶磁器そのものを職人や殖産興業の領域から、芸術の領域に高めたことである。本人は創立直後の東京美術学校彫刻科に入学し、明治27年(1894)に卒業。陶芸家としての歩みは、石川県立工業学校での彫刻科や窯業科の教諭を経たあと、東京・田端の借地に同37年(1904)に築窯してから。初窯は2年後のこと。この前後の燃料費捻出の苦労など創作一途の赤貧生活は有名。号の「波山」は故郷の筑波山に因む。波山作品の成形は、50余年間苦楽をともにした助手の現田市松が担当した。波山は形態や意匠面に心血を注ぎ、膨大な下絵を残している。
この作品は彫塑的な表面装飾の技がさえた傑作。轆轤成形後に大柄な花文様(紫陽花・水仙・牡丹・芙蓉など)をレリ−フのように薄く彫り出す。花に淡い色彩を施したあと、半透明の釉薬を掛け、全体にやさしい存在感をかもし出す。昭和7年(1932)第13回帝展出品作で、同年購入。(執筆者:竹内順一 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)