奔放な筆で四季の花木を描いた四幅対。共箱の蓋表にそれぞれの題が書かれており、春は「濃紅玉骨」と題した梅、夏は「雨後緑垂」と題した棕櫚、秋は「石榴秋味」と題した石榴、冬は「廣豊南天」と題した南天が描かれている。いずれの幅も迫力に満ちた筆さばきと、したたるような鮮やかな色づかいが特徴で、画面から飛び出さんばかりの勢いである。大正末から昭和初期、中国で制作を行っていた頃の作品と考えられる。
島根県大田市に生まれた西晴雲(1882-1963)は、明治35(1902)年、彫刻を志して奈良に赴くが左眼を病み、日本画に転向。上京し吉嗣拝山に南画を学んだ。大正3(1914)年、中国に渡り、北京で斉白石、呉昌碩に師事。昭和2(1927)年上海に移り、同5年に南画院を創設。このころ知り合った徳富蘇峰の支援を受けた。戦後は後援者であった鳥井信治郎邸で制作を行う。昭和37年(1962)、郷里の大田市に戻るが翌年80歳で生涯を閉じた。