赤松麟作の画塾に学び、川端画学校をへて、東京美術学校に入学。1924年パリに渡り、ヴラマンクの助言を受ける。26年帰国し、〈1930年協会〉の結成に参加。翌年、再渡仏。命を燃やし尽くすような激情的な筆致で、自らの心象を重ね合わせながら、パリの裏街の詩情を描いた。
美術学校卒業後にパリに渡った佐伯は、ヴラマンクと出会い、すばやいタッチでダイナミックに風景を描く画風に傾倒していきます。この作品は、彼が住んだパリの裏街、モンパルナス駅近くのシャトー街の風景です。暗褐色の門の重厚な感じと、広告の赤、ブルー、白などの鮮やかな色彩の対比が美しく、とりわけ躍動的なタッチで描かれた広告文字が素晴らしい効果を生んでいます。ここではまだ、文字は広告の一部として描かれているにすぎないのですが、後の作品では、彼の激情を投影するかのように文字が画面上を乱舞するようになり、次第に憂うつな詩情が漂ってくるようになります。