墨のにじみを利用した、いわゆる「たらし込み」の技法が用いられており、俵屋宗達研究の跡がうかがえる作品。大正3年(1914)、第8回文展で夏目漱石が賞賛した《七面鳥》もそうであったように、大正時代の百穂はたらし込みを用いて、多くの動物画を描いた。この作品でも七面鳥の形の面白さと技法の特徴がうまく組み合わされている。水辺に並ぶ鴨を全て丸くなって眠るポーズで描いている点には、百穂独特のユーモアが感じられる。
平福百穂(1877-1933)は秋田に生まれ、四条派の画家である父穂庵や川端玉章に師事。のち東京美術学校に学び、文展や帝展で活躍する一方、无声会、金鈴社などのグループに参加し、日本画のあり方を探求しつづけた。歌人でもあった百穂は森鷗外の主宰した短歌の会に出入りし、会衆を写生したこともあった。百穂による鷗外と娘茉莉のくつろいだ姿のスケッチが遺されていることから、親しい付き合いがあったと想像できる。百穂が鷗外の本の装丁を手がけたり、鷗外が百穂の画帖に跋文を書いたりと、創作面での交流もあった。