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突撃するナポレオン軍の将軍

テオドール・ジェリコー

公益財団法人 東京富士美術館

公益財団法人 東京富士美術館
東京都, 日本

幼い頃から馬と絵画を熱烈に愛していたジェリコーは、1808年にパリのリセ・アンペリアルを卒業すると、ナポレオン軍の士官たちや優美な馬の姿を描いて当時人気を得ていた画家カルル・ヴェルネのもとに入門した。さらにその2年後の1810年には、ピエール=ナルシス・ゲランのアトリエに入り、本格的な修業を積むようになる。この門下からは、ジェリコーの他にもドラクロワ、レオン・コニエなどロマン主義の重要な画家が輩出したが、ジェリコーは師の厳格な新古典主義の規律になじまず、このアトリエを去って、まもなくルーヴル美術館で過去のさまざまな巨匠の作品を模写することに専念するようになる。当時ナポレオン美術館と呼ばれていたルーヴルは、皇帝がヨーロッパ各地から集めた戦利品のおかげで名画の宝庫となっていたこともあり、先達の遺した偉大な作品を模写することが、若きジェリコーの最高の実践教育となったのである。こうした修業の成果は、1812年、《突撃する近衛猟騎兵士官》(ルーヴル美術館蔵)をもって、弱冠21歳の若さでサロンに入選、金賞を獲得するという華々しいデビューとなって結実した。ジェリコーは、この大成功の後もさらに勉強に打ち込んだ。ヴェルサイユの帝室厩舎に通い、飽くことなき入念な観察力で馬のさまざまな姿態を描きとどめ、また軍隊のテーマによる素描で彼のスケッチブックを埋め尽くした。このような若き日の濃密な修練の賜物というべきか、ジェリコーはわずか33歳という短い生涯ではあるが、ロマン主義の精髄を体現した巨匠として名を残すことができたといえる。本作は、彼がこうした画家としての出発点に位置していた20歳前後の時期に描かれた習作風の作品の一つと見ることができる。ジェリコーの作品には、完成された大作というのは少なく、むしろ同じ主題をさまざまに追求した小画面の習作風のものが多いが、本作もおそらく人馬一体の勇壮な騎馬像をテーマとして、ある構想のもとに練られた一表現なのであろう。激烈な感情、緊張感あふれる動勢を迫真的に描こうとする態度は、まさにロマン主義特有の表現である。ジェリコーがナポレオン軍の将軍をこのように描いていた頃、当のナポレオンはワグラムの戦勝、ジョゼフィーヌとの離婚、マリー=ルイーズとの結婚、ロシア遠征、モスクワ撤退というように、公私ともにめまぐるしい戦いを重ねていた。一方、美術の分野においては、アングル《ヴァルパンソンの浴女》、ダヴィッド《鷲の軍旗の授与》、グロ《アイラウの戦場のナポレオン》、ジロデ《アタラの埋葬》、ゴヤ《戦争の惨禍》といったように、新古典派とロマン派の両者が互いにその妍を競っていた。時代は間違いなく、怒涛のようにロマン主義の時代へと突き進んでいた。ジェリコーに続くロマン主義の旗手ドラクロワが《キオス島の虐殺》を出品して、サロンでロマン主義が勝利を収めるのは、これから約15年後(1824年)のことである。

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