京都の市中と郊外を大観的構図で描く「洛中洛外図屏風」は、室町時代末期に成立した画題で、時代の推移に呼応して画面構成が変化していく。この作品は桃山時代の京の市中をクローズアップして描いたもので、五条橋から寺町通や清水寺、祇園社などを向かって右隻に、室町通を手前にして誓願寺から御所あたりまでを左隻におさめる。「洛中洛外図屏風」の中では小型であるが、商いをする町屋や通りを行き交う人々の風俗表現に焦点がおかれ、時代を反映してポルトガル人や黒人の姿も見える。繊細さがあり、上品で生き生きした人物表現から狩野永徳の長男である狩野光信(みつのぶ)(1561/65~1608)に近い狩野正系の絵師の手になると思われ、慶長(けいちょう)18(1613)年の内裏造営に際して描かれた「賢聖障子(けんせいしょうじ)」(仁和寺(にんわじ)に伝来)の松の表現との比較から、「賢聖障子」の筆者である狩野孝信(たかのぶ)(1571~1618)が慶長年間半ば頃に描いたものとされている。孝信は狩野永徳の次男で、兄の光信が没した後は狩野家の中心画家として活躍した。その子である狩野探幽(たんゆう)、尚信(なおのぶ)、安信(やすのぶ)の三兄弟が、幕府徳川家の御用絵師として江戸狩野を形成するのである。【重要文化財】
【ID Number1993B03008】参考文献:『福岡市博物館名品図録』