1924(大正13)年、濱田庄司(1894~1978)が益子に間借りして作陶を始めました。濱田は1894(明治27)年に現在の神奈川県川崎市に生まれ、友人の陶芸家バーナード・リーチと共にイギリス西南端の港町セント・アイスヴに東洋風の登り窯を築き陶芸を始めました。この工房がイギリスの陶芸界の礎となり、現在のイギリス陶芸に大きな影響を与えています。帰国後、宗教哲学者 柳宗悦や陶芸家 河井寛次郎らと「民衆的工藝」という文言から「民藝」とい言葉を造語し、民藝運動を始めます。民藝運動とは名も無い工人が作った下手物にも美しさを認め、これらの下手物に再び着目する運動です。濱田が居を構えた益子には多くの民藝芸関係者が訪れ、益子焼は民藝ブームの中で濱田と共に日本国内ばかりでなく、世界中に知られてゆくことになりました。