明治美術会第2回展出品作で、浅井の中期の代表作であると共に明治洋画史上の記念碑的作品である。秋の稲の収穫作業を表す。
浅井ははじめ国沢新久郎に学び、明治9年(1876)新設された工部美術学校に入学、フォンタネージの指導を受けて同22年には明治美術会創立に参加する。第1回展の《春畝》に続いて農村風景に取り組んだ本作では、画面右下に籠や篩が置かれ、これが他の対象物を一層奥へと押しやるルプスワールの役割を果たしている。3人の人物が立つ位置と頭部の高さは、右の男性から左そして中央寄りの女性へと徐々に画面中央に向かって収斂していくように配され、こうした遠近法の堅実な手法が構図に奥行きと安定感をもたらしている。浅井は他にも農村風景を描いているが、本作を含め写真との関連が指摘されている。なお近年のX線調査により、《収穫》の下には二見ケ浦の絵が描かれていると判明した。本作は、東京美術学校西洋画科設置の年の最初期の収集品の1つで、明治29年10月27日長尾建吉より購入されたものである。昭和42年(1967)に重要文化財に指定された。(執筆者:川口雅子 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)