帝国素描・算数専門学校(後の装飾美術学校)で学ぶ。1875年イタリアを旅し、ミケランジェロをはじめとする偉大な芸術作品に刺激を受ける。1900年パリ万国博覧会で大回顧展が開かれた。鋭い観察をもとに動きと生命感を伴った作品を制作し、後の彫刻家に大きな影響を与えた。
1884年、ロダンはカレー市から記念碑《カレーの市民》の制作依頼を受けました。それは、14世紀に同市が英国軍に包囲され陥落寸前にあったとき、敵軍に赴いた6人の使者によって市民が救われたという史実を顕彰するものでした。建設委員会は、代表格であったウスタッシュ・ド・サン=ピエールの勇敢なる旅立ちの姿を望みましたが、ロダンが提案したのは、記念碑の常識をうちやぶる悲そう感あふれた6人の群像でした。委員会の強い抵抗にもかかわらず、ロダンは最後までその構想を貫いたといいます。この作品は、そのウスタッシュ・ド・サン=ピエールの頭部の習作です。深く彫り込まれた表情には、明日をも知れぬ旅立ちへの不安と恐怖とがにじみ出ています。