枯木にとまる鵲(かささぎ)(コウライカラス)の群れを中心とした晩秋、岸辺に繁茂する柳から飛び立つ鷺を主役とした晩春。左右隻で、風吹き渡る秋の乾燥した冷気と、靄湧き上がる春の高湿の暖気が対照される。池田移住後、「呉春(ごしゅん)」と改名してほどない頃の作。岩に顕著な息の長い柔軟な描線、柳の葉の点描などに蕪村(ぶそん)風が濃厚だが、呉春(1752~1811)の筆は絹地上を軽快に走りまわり、枝先の溌剌としたリズムや、生気にとんだ鳥の表情を生み出している。描く歓びあふれる傑作だ。
はじめ蕪村のちに応挙を学んで自らの画風を確立した呉春。その軽妙で洒脱みのある新しい画風は、洗練された趣味をもとめる京都の市民層に歓迎された。その一門は、多くが京都四条付近に住んだため四条派と呼ばれ、その伝統は円山派とならんで近代の日本画にまで引き継がれていく。四条派の祖としての呉春、その絵画史的な意味はきわめて大きい。