江戸時代初期に本草学は、まだ医学、薬学の知識として考えられていた。17世紀初期ごろに伝えられた『本草綱目』も、薬物を16部60類に分けられたものであったが、動植物、鉱物などに整然と分類されており、その分類方法は我が国の本草学の発達に大きな影響を与えるものであった。1637(寛永14)年には、最初の和刻本も出版され、『図解本草』1685(貞享2)年(下津元知)などが続いた。その後しばらくは学問としての本草学であったが、蘭学の影響を受け、内容の検討や理解が進むに連れ、中国の本草学である『本草綱目』を基本としながらも、我が国の動植物などを加えた、小野蘭山らによる『本草綱目啓蒙』1802(享和2)年48巻が出版された。本書は、その第4版に当たるもので、泉州岸和田藩主岡部美濃守長慎が本草学の発展のため校正、再版させたものである。