日本では中国に倣って硯を単体で扱うこともあるが、多くの場合は箱に仕組み、水滴、墨、筆、刀子(とうす)、錐などとともに収納した。これは、日本の居住空間の基礎とされる平安時代の寝殿作りにおいて、ひとつの部屋で食事、読書、執筆、身繕いなど異なる活動が行われたため、固定的な家具ではなく、持ち運びのできる各種の箱が発達したことに由来する。硯箱は日本の文房具の基本である。
この硯箱の意匠は磯に遊ぶ千鳥であるが、単なる風景画ではない。絵の中に「志本能山散新亭」「君加見代遠盤」「八千世登曽」の文字を散らし、『古今和歌集』の「しほの山さしでのいそにすむ千鳥、きみがみ世をばやちよとぞなく」の歌を表している。中世までの日本の蒔絵には意味を込められていない文様や風景はないといってよく、文字がなかったとしても、教養ある受容者たちはテーマを理解した。
蒔絵技法は梨地(なしじ)、沃懸地(いかけじ)、金平蒔絵(きんひらまきえ)、金研出蒔絵(きんとぎだしまきえ)、金錆上高蒔絵(きんさびあげたかまきえ)、銀金貝(ぎんかながい)、金銀切金(きんぎんきりかね)、付描(つけがき)、描割(かきわり)、銀彫金片(ぎんちょうきんへん)の象嵌(ぞうがん)など多彩かつ複雑を極め、室町時代の漆芸の代表的作例のひとつとされている。
なお、身の見込み部の波文、硯、筆架(ひっか)などは江戸時代の後補と考えられている。
土屋子爵家旧蔵。