1965(昭和40)年、森英恵(1926-)はニューヨークのホテル・デルモニコで作品を発表した。そのショーをきっかけに、ニューヨークの百貨店を中心に、アメリカ国内で森のドレスが販売されるようになる。当時アメリカでは、フォーマルな場で着用されるイブニング・ドレスと同様に、自宅に客を招いた際に女主人が着用するカジュアルで華やかなホステス・ガウンの需要があり、森のドレスはそうした需要にこたえるもので、人気を博した。このジャンプ・スーツもホステス・ガウンとして作られたもの。秋草という日本の伝統的な図案が、目の覚めるような鮮やかなピンク色の絹地にプリントされている。また、ジャンプ・スーツの上に羽織るカフタンには、襟の部分などに着物の要素が取り入れられている。日本的なイメージを前面に出しつつも、服の基本的な構造は西欧のそれに則っていた。この衣装はまた、リチャード・アヴェドン撮影による写真が『アメリカン・ヴォーグ』(1966年11月)に掲載されている。森英恵の代表作の一つである。
森の衣装は新しい「ジャポニスム」を発信し、アメリカを皮切りに西欧で受け入れられ、1977年には日本人としてはじめてパリ、オートクチュール会員して迎えられた。彼女の活躍は、後に続く日本人デザイナーの海外進出を促すことになる。