『音楽の稽古』は、署名の読み誤りにより、フランス ファン ミーリスの作品として 1762 年にロイヤル コレクションに収蔵されました。フェルメールの名は、1866 年にテオフィル トレによって特定されるまで出てこなかったのです。この作品は 17 世紀後半には、フェルメール作の 21 点の絵画を所有(1 個人によるコレクションとしては最大規模)していたヤコブ ディシウスの死去後の 1696 年 5 月 16 日に売却されるまで、フェルメールの故郷であるデルフトで所蔵されていました。『音楽の稽古』はその後、1718 年に、ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ アントニオ ペレグリーニがアムステルダムまたはハーグにて購入しました。ペレグリーニのコレクションは領事ジョゼフ スミスが購入しましたが、その後コレクション自体がジョージ 3 世に売却されました。このような経緯で、最も著名なオランダ絵画の 1 作品がロイヤル コレクションに加わりました。その重要性は初期の頃には見落とされていましたが、本作品に集まる今日の学術的な注目度にその価値が見て取れると言っていいでしょう。フェルメールによるたった 34 点の作品は、制作された日付を特定することが難しく、作品の制作順序については、画面構成の形式と複雑さを解釈することによって行われています。『音楽の稽古』が 1660 年代に描かれたのは間違いないでしょうが、現在ではもう少し具体的に 1662~1664 年頃に作成されたと考えられています。しかし、それ以上詳しいことは誰にもわかりません。本作品の構図は、人物(珍しく後ろ姿の若い女性)が立つ部屋の奥に向かって視線をもっていくために用いられた、正確な遠近法が特徴的です。見る者の目には突き出した机の角、そして椅子やバス ビオール(ヴィオラ ダ ガンバ)がまず映り、それからもと奥まった場所にいる人物に気付くのです。アンドレアス リュッカース(初代)の手によるものと思しきヴァージナルが置かれた部屋の奥は縦横の格子状になっており、そこにうまく当てはめたように人物が描かれています。左の窓から差し込む光が部屋を満たし、柔らかい影を作り出しています。ここで目立つ特徴となっているのは、若い女性の顔、テーブルの一部、画家のイーゼルの脚を、やや不鮮明に映し出す壁の鏡です。少しだけ見えるように描かれたこのイーゼルは、描いている絵の中と同じ空間をフェルメールが共有しているということを示唆していますが、そうすることにより画家は見る者と同じように絵画の空間の外にも存在するのです。アルパースが指摘しているように、実際、フェルメールの画面構成は除外に基づいています。多くの要素、特に部屋の奥の部分は、まるで「把握できない世界の様相」を示すように部分的にしか描かれていません。ヴァージナルの蓋にある「MUSICA LETITIAE CO[ME]S / MEDICINA DOLOR[IS]」とは、「音楽は喜びの友、悲しみの薬」を意味します。男と若い女性の関係を探ろうとする画家の意図が見てとれますが、2 人の関係がどのようなものなのかはわかりません。楽器が 2 つ描かれているということは、喜びの共有や潜在的な調和を示唆しており、このことは、若い女性が弾くヴァージナルの演奏に耳を澄ませる、あるいはその演奏に合わせて歌う男の魅了されたような表情にも表れています。恋愛のある一面を主題として描かれているということは、メツーのようなフェルメールと同時代の画家による絵画だけでなく、『音楽の稽古』の背景の右側に描かれているディルク ファン バビューレンの『ローマの慈愛(キモンとペロ)』によっても推し量ることができます。この絵は、投獄されたキモンが娘ペロによってどのように助けられたかを描いた物語であり、物理的にも霊的にもキリスト教の慈善の理想を象徴しています。フェルメールの義理の母マーリア ティンスがこうした絵を所有していたことが知られており、フェルメールは他の 2 つの作品の背景にも別のバビューレンの絵を描いています。机の上の花瓶は『ローマの慈愛』の下に描かれているため、この絵は、部屋にいる若い男女のさらなる関係を示していると思われます。フェルメールの描く室内の雰囲気は、「自由と束縛の寓意、そして愛の喜びと苦しみの寓意がまるで空気そのもののように自然に存在し、見る者に語りかけている」というローレンス ゴウイングの言葉に示されるように、慎重に選ばれた少数の物体、契りを交わした 2 人の人物の対峙を取り入れた表現によって如実に表現されています。額縁の右下に IVMeer(「IVM」はモノグラム)という署名があります。