第1次世界大戦が終わった直後の1919年から3年ほどの間、スーチンはピレネー山脈の小 さな町セレに滞在した。セレはフランス南西部、地中海沿岸から30kmほど内陸に入った スペインとの国境まで10kmに満たない場所に位置しており、かつてはピカソやブラック がキュビスムの絶頂期に訪れて制作した場所として知られている。
モディリアーニを献身的に支えた画商ズボロフスキーの支援を受けたスーチンは、ここセレで彼の代表作ともいうべき作品群を生み出している。当時のスーチンはいまだ20代後 半の若さであったが、このセレ滞在中に彼の作風は急速に完成へと向かっていく。激しい 筆触が乱舞するその急峻な山岳風景は、みなぎる緊張感、あふれんばかりの躍動感、混沌と見えながらも決して分裂することなく一体となって見るものに迫るその圧倒的な力によっ て、スーチンの評価を決定的なものにした。セレでの滞在を終え、200点とも言われる作 品を携えてパリに戻った彼は、アメリカ人の収集家アルバート・バーンズ博士によってそ の才能を見いだされ、一躍名声を獲得するとともに、底知れない貧困生活からもようやく 脱却するのである。
(出典: 『名古屋市美術館コレクション選』、1998年、P. 21.)